2005年06月17日

徳山のまちを本気で考える時間がほしい!

 徳山駅周辺整備事業に関する緊急アピールを出してから、いろんな方からご意見をいただいた。昨日も自由通路の必要性について、もっと検討すべきだというお話をしに来られたIさんと長い間、話をした。
 そもそも、南北自由通路は、トライアングル構想の中で出てきた発想で、商業圏と港側のウォーターフロント計画をつなぐための手段。それが今は、自由通路だけが残り、それが「目的」のようになっている。1日に何人の人が行き来するのか、そして、南北両側にあるエスカレーターの維持費はいくらで誰が負担するのか、明らかにすべきだとのご意見。投資する金額に見合った効果は見込めるのか、既存の地下通路を安全で便利にする整備をすることで充分ではないのか。
 駅南側の県の事業(ポートルネサンス21)は、もう終わっている、ともと県の職員さんだったIさんは主張されていた。民間開発も見込めないという専門家の意見もある。それなのに、自由通路で何が得られるのだろう。市のある部長と話したとき、駅南側は、現在、開発ポテンシャルが高くないから、自由通路でこれを高くするのいね、と言われていたが、構想では、現状の分析として南側が未利用地もあり、高い開発ポテンシャルとしている。この未利用地が商工会議所会頭の会社の土地であり、市民の不信は募る。
 駅周辺整備構想検討会で、ボードウォークの必要性について疑問を投げかけたら、中心市街地活性化室長は、県に市の姿勢を示さなければいけないから・・・と答えられた。これは大問題よ。とIさんは言われた。市の担当者はもっと県と話をつめるべきだとの主張だった。そんなことは誰でもできる、と もと市の職員でもあった彼のご意見。
 また、以前、駅ビルを改装したいという意向があったらしいJRの意向も確認してから他の計画を考えないと、との話をされた。それで、構想では駅ビル建替えについて盛り込まれたり、盛り込まれたなかったりと市の意向が揺らいでいたのか、と納得したのだけど、その構想を作る時には、市の担当者がJRとどういう意向か協議していないといけんよね。との話になった。橋上駅舎と自由通路の構想もJRに姿勢を示さないと協議できないから盛り込まれたの?と疑ってしまう。だって、駅周辺整備構想検討会の時、JRとの協議はどうなっているんですか?と何度も質問が出ていたけれど、全然協議されていない様子だった。それはおかしいと思っていたけれど、やっと最近、JRと市の協議の場が設置されたらしい。その市のメンバーを見て、がくぜんとした。ほとんどが旧新南陽出身の部長たち。これまでの長い間の経緯をこの方々でわかるのだろうか?いっそわからないほうが都合が良い、という意向が働いているのか?
 この駅周辺整備構想作りは、あるコンサルが徳山市時代から関わってきた。どのコンサルに担当させるかも長い歴史の中でいろんなことがあったらしい。別に不正があったわけではないだろうけれど、市担当者(上層部)についている(仲良くしている)コンサルが自分の会社の案を採用してもらうために、他の計画を否定するような案作りをすることはあるらしい。最近は不景気になり、先を見込んでの先行投資(ゼネコンやコンサルの頼まれてもいない案作り)というのはやらなくなったと思えるけれど、昔はこういうのはたくさんあったんだろうな。
 議会で昔の市長選で敗れ、自殺された方の名前を出し、その方を含めて当時みんなでいろいろ話をしたが、銀座通りを歩行者専用にして・・というのをN議員が言われたと、Iさんに話をしたら、徳山市商業活性化計画(だったかな?)というのが、トライアングル構想より前にあった、と教えてくれた。第1次、と第2次というのがあるから図書館で見てみいさん、と言われたが、高齢者社会の到来を見込み、人にやさしいまちづくりをしようと作られたものらしい。その時にJRの不要な線を道路として拡幅できれば、線路側に迂回するサービス道路というのが確保できるではないか、という案が出たらしい。そういう計画を市長はご存知なんだろうか?とIさんに尋ねたら、そりゃあ、僕でも古い資料を読んだから知ったくらいだから、知らないだろう、とのこと。古い計画にしばられることはないけれど、やはり、温故知新だ。何でも知った上で、今、どうすべきかを判断しないと・・・
 そのあと、仕事場の仲間がいそぐ仕事があるのに・・と不満な顔をしていたので、図書館にも行っていない。今日もこんなところで書いていないで、早く仕事に行かなくては・・・。
 
 


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